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最高裁判所第一小法廷 昭和61年(あ)960号 決定

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人直野喜光の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり、被告人本人の上告趣意は、事実誤認の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

なお、原判決の認定によれば、被告人は、県知事の免許を受けて柔道整復業を営む一方、風邪等の症状を訴える患者に対しては、医師の資格がないにもかかわらず反復継続して治療としての施術等を行つていたものであるが、本件被害者から風邪ぎみであるとして診察治療を依頼されるや、これを承諾し、熱が上がれば体温により雑菌を殺す効果があつて風邪は治るとの誤つた考えから、熱を上げること、水分や食事を控えること、閉め切つた部屋で布団をしつかり掛け汗を出すことなどを指示し、その後被害者の病状が次第に悪化しても、格別医師の診察治療を受けるよう勧めもしないまま、再三往診するなどして引き続き前同様の指示を繰り返していたところ、被害者は、これに忠実に従つたためその病状が悪化の一途をたどり、当初三七度前後だつた体温が五日目には四二度にも昇つてけいれんを起こすなどし、その時点で初めて医師の手当てを受けたものの、既に脱水症状に陥つて危篤状態にあり、まもなく気管支肺炎に起因する心不全により死亡するに至つたというのである。右事実関係のもとにおいては、被告人の行為は、それ自体が被害者の病状を悪化させ、ひいては死亡の結果をも引き起こしかねない危険性を有していたものであるから、医師の診察治療を受けることなく被告人だけに依存した被害者側にも落度があつたことは否定できないとしても、被告人の行為と被害者の死亡との間には因果関係があるというべきであり、これと同旨の見解のもとに、被告人につき業務上過失致死罪の成立を肯定した原判断は、正当である。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官佐藤哲郎 裁判官角田禮次郎 裁判官大内恒夫 裁判官四ツ谷巖)

《参考・原判決》

〔主文〕

原判決中業務上過失致死被告事件に関する部分を破棄する。

被告人を懲役一年に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

〔理由〕

本件控訴の趣意は検察官大迫勇壮作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人直野喜光作成の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

所論は、要するに、原判決が、被告人が風邪に罹患している甲野太郎及びその看護に当たつていた甲野花子らに対し、医師の診療を受けるように指示せず、かつ太郎に対し誤つた風邪の治療を自ら行いあるいは太郎及び花子らに指示して行わせた過失により太郎を死亡させた事実を否定し、被告人を無罪としたのは、証拠の取捨選択、評価を誤り、事実を著しく誤認したものであつて、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのであり、その主張する理由の骨子は次のとおりである。

すなわち原判決は

1 太郎や甲野松子らの教育程度、職業等を考慮すると、被告人において、松子らが数日にわたり高熱が続く太郎に対し十分な水分や栄養を補給せず、薬品を投与せず医師の診療を求めないでいる事情を認識し又は認識し得たとは認め難く、その予見義務もないし太郎が医師の診療を受けているか否かを確認せずに、また改めて医師の診療を受けるよう告げなかつたからと言つてその注意義務に違反した落度はない。

2 被告人は太郎の風邪そのものの治療を引き受けたのではなく、施術ないし愉気の際に、発熱がいつからで、何度位かとか、熱を出しきれば治るとか、布団を掛けて暖かくし、余り水分や食物を取らないようにした方がよい等話したことも、日常の雑談と認めうる程度、態様の会話であり、太郎の汗拭き、着替え等を行つたことも一般的な介護方法の域を出ないものである。また被告人が行つた矯正及び愉気はそれ自体危険な行為ではないし、被告人において太郎の症状が生命にかかわる程に重いということに気付かないで依頼を受けるまま右のような施術ないし介護に終始したことに落度はない。

と判示するが、被告人は、太郎が医師の診療を受けておらず、甲野方の家人も被告人を信頼し、その指示する治療法を忠実に実行しているのみであることは十分に了知していたものであつて、被告人に、太郎らに対し、医師の診療を受けるよう指示すべき業務上の注意義務を怠つた過失が存することは明らかである。また被告人は昭和五七年七月六日夕刻、太郎から風邪の治療を依頼され医師でもないのにこれを承諾し、「体温を上昇させて雑菌を殺せば、風邪は治る。」という独自の誤つた見解の下に太郎の風邪そのものの治療に当り、その治療手段として、矯正、愉気、足湯、病室内密閉、布団むし、食輯・水分制限などの風邪の治療上、有害・危険な行為を指示し、かつ自らもこれを実行し、その結果太郎の病状は一層悪化し、肺炎などの余病の併発により死亡などの不測の事態が発生するおそれがあることを予見しながら、なお右治療行為を継続したことは明らかであり、被告人の右過失により太郎は気管支肺炎に起因する心不全で死亡するに至つたものである、というにある。

そこで、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討すると、次の各事実が認められる。

被告人は、島根県知事の許可を受け、柔道整復師として、昭和四五年九月以来、浜田市国分町一八一九番地四七の自宅において柔道整復業を営み、骨折、脱臼、打撲、捻挫の手当はもちろんのこと、肩凝りや腰痛の患者に対し、「矯正」と称する指圧やマッサージ類似の施術を行つていたほか、風邪等の症状を訴える患者に対し、患者の後頭部と腹部に手の平を添えるといういわゆる整体法の一種である「愉気」や矯正の施術を行つたり、両足を四〇度前後の湯につける「足湯」を勧め、「部屋を暖かくして布団をしつかり掛け、熱を上げろ、余り物を食べるな」等と指示するなど、これら疾病に対しても反覆継続して治療行為を行つてきたが、昭和五七年七月六日夕刻、太郎の両親の腰痛に矯正の施術を行うため太郎方を訪れた際、同人から「風邪気味で、だるくて熱つぽい。診てもらいたい。」と依頼されてこれを承諾し、矯正の施術を行つたところ、太郎の筋肉の硬さと弛みの感じや同人の体温が三七度前後であることから風邪であると判断したが、これまでにも顧客らの風邪などの治療を行つたことがあり、太郎の風邪も初期の軽いものであるから整復師の治療技能で治すことができるとして治療に当ることにし、熱を出せば(「上げる」の意)熱により雑菌を殺す効果があるとの考えから、太郎に対し「風邪だから、そんなに早く寝ちやあ熱は出ないから、一寸動いて寝なければ熱は出ん。熱が出てしまえば、風邪は治る。風に当らないようにし、布団を掛けて、水分や食事を余り取らないように休むこと。明日はうちの方に来てくれ。」などと指示をした。そして翌七日午前一一時ころ、妻松子を伴つて治療を受けに来た太郎に対し、矯正を行い、同人の熱が三八度位あると聞くや、さらに熱を上げるために足湯を行うよう指示し、かつ「手足を直接風に当てないように布団を掛け、汗を出して休め、水分などは余り取らず、食事もお粥程度で余り取らぬ方がよい。」などと指導した。その際、松子から「風邪を治療するには熱を下げ、水分と栄養を十分摂らんといけないのではないか。」と言われたが、被告人は軽い風邪なら自分の治療方法でなおせるとの考えからこれを聞き入れなかつた。太郎は帰宅後被告人の指示に従つて足湯を行つた。被告人は、同月八日午前一一時ころ、花子から「太郎の熱が三八度二分位あるので来てもらえないか」との電話を受け、その際内心では医師に行かせた方がよいとは思つたものの、せつかくの往診依頼を断ることができず、直ちに太郎方に赴き、同人の体を湯で拭いて着替えをさせた上、同人の熱を上げると称して約三〇分間「愉気」を行い、手足などは風に当てないようにし、汗を早く出し熱を更に上げないと治らないとして、当時高温多湿の気候(最低気温摂氏20.1度、最高気温同27.5度、平均湿度八二パーセント)であつたにもかかわらず、花子に指示して、太郎の敷布団を二枚にし、タオルケットの上に布団を掛け、同人の肩から胸にかけてバスタオルを巻きつけさせたほか、自ら夏布団で太郎の足先を包み、更に同人が病室に使用していた二階六畳間の襖や窓を締め切らせるなどして外気が室内に流入しないようにして一旦帰宅した。しかし同日午後八時ころ、太郎の熱が下らないとして再度往診の依頼を受け、同人方に約一五分間程「愉気」を行つた。翌九日は午前一一度過ぎころと午後五時ころの二回太郎方に赴き、体温が三九度から四〇度に上昇し、症状が一層悪化の状態にある太郎に対して愉気を行い、「よう寝んさいよ、寝んから熱が上がらん。寝るんが恐しいか。食事は余り取らん方がよい。水分も程々にした方がよい。」などと指示をしたが、一方、被告人は内心太郎の熱が大変高く、このままでは余病の併発も充分に考えられることから医師の診察を受けた方がよいのではないかとの思いがあつた。しかし甲野家とは一〇年来の長い付き合いであり、被告人を信頼して太郎の治療を任せ往診を依頼されている手前、医者に行けとも言えず、また、これまで熱を上げるように色々指示をしておきながら途中で止めるということもできず、引続いて太郎の治療に当ることにした。七月一〇日午前六時ころ、花子から「熱が一向に下がらない。どうしてくれるのか。」という電話を受けた被告人は、同日午前七時ころ、太郎方を訪れ、「未だ熱が上がりきつていないので、最高に熱を上げる。」と称して四〇度の高熱のある太郎に対し、愉気を行い、更に同日午前一〇時ころには体温が四二度にまで上昇した太郎に対し、今度は熱を下げると称して再び愉気を行い続けたところ、間もなく、太郎はうわ言を言い、次いでけいれんを起こしたので、被告人は、あわてて、初めて医者を呼ぶように花子らに指示した。

同日午前一一時ころ、山田次郎医師が急行して診察した時には、太郎は既に脱水症状に陥つており、意識及び呼吸はほとんどなく、瞳孔は散大し、心臓はかすかに搏動している状態で血圧も測定不能な危篤状態にあり、強心剤の注射等の応急手当を受けた後、救急車で国立浜田病院に搬送されたものの、既に呼吸及び心停止の状態にあり、同日午後零時三〇分、気管支肺炎に起因する心不全により死亡したこと、太郎が罹患していた風邪と称される疾病には、息粘膜や咽頭などの上部気道だけに症状が限局された普通感冒のように症状も軽く、数日以内に治癒するものもあるが、病状が悪化して細菌やウイルスの感染が気管支などの下部気道に及ぶと肺炎や菌血症を起こして重篤な症状を呈し、特に肺炎杆菌による肺炎の死亡率は約四五パーセントに達するとされている。そしてこれら風邪症候群に対する処置としては、患者の体力の消耗を防ぎ、組織細胞の活力維持に努め、かつ発汗による脱水症状を防止するため、患者の安静を保ち、水分と栄養を十分に補給し、室内の換気を図り、清浄な空気を流通させ、発熱がある場合は、水枕を与えたり、解熱剤を投与するなどして熱を下げ、体力の消耗を防ぎ、肺炎を防止するため、場合によつては抗生物質を投与する等の方法を講じるべきであり、これらの処置を誤ると肺炎等を併発し、生命に危険を及ぼす重篤な症状を惹起し死に至ることもありうることは現代医学の常識とされていること、以上の認定事実によれば、被告人は柔道整復師として骨折、捻挫等の手当のほか、従前より風邪等の症状を訴える顧客に対し、その治療をも行つていたことから、昭和五七年七月六日、甲野太郎より、風邪気味でだるく熱つぽいとして診察の依頼を受けるやこれを引き受け、同人の症状等を診察し、同人は風邪に罹患していると判断し、以後同月一〇日午前一〇時ころ、同人が危篤状態に至るまでの間、数回に亘つて、太郎に対し、愉気、矯正等の施術を行い、同人やその家族に対し、「風邪だから熱を出してしまえばなおる。手足は絶対外に出すな、水分は余りとるな。」等と指示したり、足湯を勧めるなどして風邪の治療に当つてきたものであるが、被告人は柔道整復師としての病理学等の知識は一応修得してはいるものの、もとより医師の免許は有しておらず、風邪等の診察、治療についての専門的知識や能力がないので、これら医行為をしても、患者の病名等を発見することができず、従つて患者に対し、適切な治療行為等をすることはできないのであるから、太郎から診察の依頼を受けた際、直ちにこれを断るべきであり、しかも柔道整復師という医療業務に従事するものとしては、風邪の症状を訴える患者に対しては専門医の診察を受けるよう指示すべき業務上の注意義務があつたのに自己の治療方法を過信するの余りこれを怠つた過失があると認められる。そして、事実上治療の業務に従事し、診察、治療等の医行為を行う場合は患者の生命に危険を及ぼさないようその方法等に細心の注意を払うべき業務上の注意義務があるのに、被告人が太郎に対して行つた風邪の治療や、同人及び花子らに対してなした治療法についての指示は、患者の安静を保ち、病室内は換気を図り、清浄な空気を流通させ、患者の体力の消耗を防ぎその維持をするために、栄養や水分を十分に補給するよう努め、更に発熱がある場合は解熱剤を投与するなどの医学的に正常な処置とまつたく反し、熱を出せば、熱によつて雑菌を殺す効果があり風邪は治るとの非科学的で独自の誤つた見解に基づいて、いたずらに病室を閉め切り、高温多湿の不良な環境にさせたうえで、布団を重ねるなどして熱を上げ、十分な栄養と水分の補給を制限し、愉気等の施術をして安静を妨げるなどの風邪の治療としては、極めて有害かつ危険な方法であつて、被告人にはこの点においても過失があるといわざるをえず、太郎は被告人の誤つた風邪の治療及び指示によつて、体力の著しい低下と脱水症状を起こし、気管支肺炎を併発して、心不全により死亡するに至つたことが明らかである。

しかるに、原判決は、被告人において、松子らが数日にわたり高熱が続く太郎に対し十分な水分や栄養を補給せず、薬品を投与せず、医師の診療を求めないでいる事情を認識し又は認識し得たとは認め難く、その予見義務もないし、太郎が医師の診療を受けているか否かを確認せず、また改めて医師の診療を受けるよう告げなかつたからと言つてその注意義務に違反した落度はないし、そもそも被告人は太郎の風邪そのものの治療を引き受けたものではなく、同人やその家族に対してとつた態度も日常の雑談や一般的介護方法の域を出ないものであり、また被告人が行つた矯正や愉気もそれ自体危険な行為ではないし、太郎の病状が重篤であることに気付かなかつたことに落度もないと判示するが、前記認定のとおり、被告人は、太郎や花子らが被告人が指示した治療方法を終始忠実に実行していることを往診の際見たり、花子から聞いて知つていたこと、太郎や花子は七月六日以降被告人に対し、太郎の病状を逐一報告して太郎の治療を求め、被告人もこれに応じて昼夜を問わず太郎方を訪れ、施術を行い、治療方法について指示するなどしていたこと、甲野方の家人が被告人を絶対的に信用していたことを被告人は知つていたこと等からして太郎や花子らは風邪の治療を専ら被告人に委ねており、医師の治療を受けているとは到底窺いえず、被告人もこのことは十分に認識していたことは明らかであり、そして被告人は太郎から風邪の治療を依頼されてこれを承諾し、以後専ら治療について主導的立場のもと太郎やその家族に対し治療方法の指示をしてきたものであつて、これがたんなる日常の雑談や一般的介護方法の域を出ないものであるとは認めがたく、また高熱を発し体の抵抗力が著しく衰えている患者に対し、矯正や愉気を行うことは、患者の安静を妨げるものであつて有害、危険ですらある。そして被告人は太郎の症状に好転の兆しがなく、日を追つて悪化しつつあることは、数回に亘つて往診し、家族からもその状況を聞かされていたことから充分知悉し、被告人自身内心では太郎の経過が良くないことを心配し、余病の発生も懸念していたのであつて、これを回避するために直ちに自己の治療を中止し、医師の診療を受けるように指示することは容易可能であつたと認められる。原判決は、太郎自身はもちろんのこと、松子と花子との適切な対処があれば太郎の死亡という結果が回避できなかつたものではないという見方も否定しきれず、また最も残念な点が太郎自身のはなはだ突飛な体力過信にあつたと指摘しうるうえ、松子らのはなはだ突飛な治療、看護の誤りを予見すべきであつたとはいい難いので、被告人の施術中止義務違反についてはこれが太郎の死亡の原因になつたとは認められない旨判示する。なるほど、花子や松子が太郎に医師の診療を受けさせ、太郎に対し水分や栄養を十分に補給し、解熱剤を投与するなどの措置を講じ、また太郎自身これらの措置を求めていたならば、太郎の死亡という結果を回避できたと推測され、この点において花子や松子らにも太郎に対し適切な看護、療養を怠つた落度のあることは否定できない。しかしながら、原判示の「松子のはなはだ突飛な療養、看護」は、先に認定したとおり、ほかならぬ被告人自身の誤つた指示に基づいてなされたものであつて、たとえ花子らに落度があつたにしても、被告人自身に太郎の治療等につき前叙の過失がある以上、被告人の過失責任が否定されるいわれは全くないのである。要するに、原判決は、信ずべからざる被告人の原審公判廷における供述を過信し、花子、松子らの捜査段階及び原審公判廷における供述等を故なく排斥して被告人の過失を否定し、かつ花子らの落度が太郎の死亡の一因をなしたことを過大に評価した上、これを理由に被告人の誤つた治療及び指示と太郎の死亡との因果関係を否定したものにほかならず、原判決には事実の誤認があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八二条によつて原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、更に、次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、島根県知事の免許を受け、柔道整復師として昭和四五年九月以来浜田市国分町一八一九番地四七の自宅において柔道整復業を営んでいるものであるところ、医師の免許を受けていないのに風邪の症状を訴える顧客に対しその治療行為を反覆していたものであるが、昭和五七年七月六日、同市○○町△△番地×甲野太郎(当二八年)方において、同人から「身体がだるく熱があるので診察してほしい。」旨診察の依頼を受け、同人の症状等を診察した結果、同人は体温が摂氏三七度前後もあつていわゆる風邪に罹患しているものと判断したので、かかる場合右甲野太郎から診察や治療を依頼されても、医行為についての専門的知識や診療を行う能力がないのであるから直ちにこれを断り内科医等の専門医による診察、治療を受けることを指示すべきであつて自ら患者に対する内科の診察や治療等の医行為をなしても患者の真実の病名等を発見することができず、したがつて、患者に対し、適切な治療行為等をなし得ず患者に対し生理上の危険を与えその病状を悪化させ、場合によつては患者を死に至らせるおそれがあつたから厳にこれを避けるべきは勿論のこと、医師の免許がなくても敢えて右のように事実上治療の業務に従事するものは、患者の生命に危険を及ぼさないようその方法等に細心の注意を払うべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、その後同月一〇日ころまでの間数回に亘つて甲野太郎方において、右甲野太郎に対し、「風邪だから、熱を出してしまえばなおるから。」「熱を上げれば後は下がるから、早く熱を出してしまわないといけない。手足は絶対外へ出してはいけない。水分は余りとつてはいけない。」などと指示し、愉気と称する温熱法による治療を行うなどして同人の解熱のための治療を継続して次第にその容態を悪化させ、同月一〇日午前一〇時ころに至り同人の熱が四二度にも上がり、同人がけいれんを起こすなどの症状となるに及んで初めて医師の治療を受けさせた過失により、右甲野太郎をして高熱のため脱水症状を起こさせ、同日午後零時三〇分、同市△町○○番地国立浜田病院において、気管支肺炎に起因する心不全により死に至らしめたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で処断すべきところ、本件は、被告人が医師の免許もなく、医行為についての専門的な知識や能力もないのに、無謀にも風邪に罹患している被害者の治療を引き受け、被害者やその家族に対し、著しく常識に反した独自の誤つた治療方法の指示を与え、自らも高熱状態の続く患者に対し連日愉気と称する施術をほどこすなどしてその容態を悪化させ、ついには将来ある二八歳の青年を死亡するに至らしめたという悪質な事案であり、結婚後わずか一か月で夫を失うことになつた被害者の妻は世を儚んで自殺し、被害者に将来を託していた老父母らは今なお悲嘆にくれているなど、その結果も極めて重大かつ悲惨であつて、被害者はもちろんのこと、遺族の無念の心情は察するに余りがある。しかるに被告人は自己の行為を否認して弁明に終始し、遺族に対する慰藉の措置も講じていないなど一片の改悛の情すら窺いえない、しかしながら容易に専門医の治療が受けられる状況にありながら、これに頼ることなく医師でもない被告人に治療を求め、その指示のみに盲目的に従つてきた被害者やその家族の対応にも責められるべき点があつたこと、被告人は本件の影響により相当の顧客を失うなどある程度の社会的制裁を受けていること、被告人には前科、前歴がないこと等被告人に有利な事情を総合考慮し、被告人を懲役一年に処することとし、右情状に照らし刑法二五条一項を適用して、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、原審及び当審の訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官古市清 裁判官松本照彦 裁判官岩田嘉彦)

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